成人式

成人式を祝う儀式は古くからあり、男子は元服、へこ祝い、女子は裳着、結髪などと呼ばれていた。江戸時代は15歳を過ぎると元服していたようですが、明治以降になって徴兵制度が定められてからは徴兵検査が成人となる目やすになっていった。現在は、満20歳になった大人になったことを自覚もらおうとする祝いになりました。独立した社会人となればさまざまな制度の枠組みのなかで権利と義務が生じてくる。最も端的な例は選挙権を持つことです。選挙権を持つ事によって国民として国政へ参加でき、地方自治にも参加する資格も与えられる。また、財産や身分についても今まで法律上保護されていた立場から、個人として独立した判断と責任で行動することが要求される。成人式は1月の第2月曜日の成人の日に行なわれる。成人の日は国民の祝日の1つで、国民の祝日に関する法律では、大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます日となっている。以前は1月15日だったが、2000年からハッピーマンデー制度適用により、1月の第2月曜日に変更された。この日には、市町村が主体となって式典をあげたり、記念パーティをやったり、若者の集いにふさわしいさまざまなイベントが開催される。地方によっては、この日では人が集まらないので8月の旧盆のころの帰省にあわせて開催するところもある。ひと頃、荒れる成人式が全国的には大分おさまってきているようである。荒れない成人式にするための取組みが各地で実施された成果なのか、別の理由によるものなのかはわからない。ただし、各自治体で行なわれる成人式を、同窓会の待ち合わせくらいにしか思っていない新成人も多いようで、成人式の存続意義を問う意見も聞かれます。高校卒業後に進学しない場合には、多くの者が正社員として就職せずフリーターなどになる現実をみれば、成人式に参加している者の大半は学生かフリーターである。実際のところ、成人式を境に自分を取り囲む環境が大きく変わるわけではない。確かに、未成年の時よりも法律的な保護は減るが、普通に生活を送っていればあまり意識することではない。20歳で選挙権が与えられるが、若者の投票数を見れば大半が選挙に行かないので、選挙権が成人の自覚を促す材料にはならない。パプアニューギニアの、ある島のように、ほとんど道具を使わずにサメを捕まえなければ、一人前の男として認められないとか、ニューカレドニア諸島の通過儀礼のようにバンジージャンプをしなければ成人として認められないなどのように、少々荒っぱいが、ともかく成人としての自覚を促すための象徴的な儀式が日本の成人式で行なわれるわけではない。一般的に現在の日本社会は20歳の人に成人としての自覚をもたせるのは困難な構造になっている。大学を卒業しても就職せず、親の庇護のもとで生活しているニートと呼ばれる者も増加している。成人式で皆一斉に大人としての自覚を持つことは無理があるだろう。だからといって成人式を廃止すれば良いということにもならず、せめて成人式に行って、子供から大人への節目をつける機会を与える意味があるのかもしれません。成人式のお祝を送るときの表書きは「御成人祝」です。両親からは成人式に着る晴着やスーツ、羽織袴が贈られることが多い。両親以外が品物を贈る場合には、アクセサリー類や鞄でしょう。お返しは収入のない学生の場合は不要であるが、必ず本人から礼状を出すこと。収入のある場合には手土産を持って本人が直接お礼に伺うようにしたい。手土産は常識の範囲内であればどんなものでも良い。

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